【雑感】1.しげっちメモ
先日、ワークショップ(以下WSで)の仲間との座談会がありました。
仲間とは、昨年の10月のWSで出逢った人がほとんどです。
私が参加したのは、第3期でして同じ3期の仲間は10名います。
年代(世代)もバラバラで女性も若干います。(でも何故か40代は私だけ)
同じWSで第1期の方々は昨年の4月からなので、私たちとはちょうど半年間違います。
先輩と言っても良いでしょう。(しかし勝手に仲間と思っております。)
第2期は主に関西地方の仲間で、第4期は3期と同じ昨年10月の開催でした。
そのWS第1~4期の仲間が一緒に集まって、座談会を行ないました。
ハングアウトというグーグルのサービスを使用して、リアルで9名総勢では15名ほどが参加しました。
議題は5年後の自分の目標を設定した後の日々の生活への落とし込み
私は、5年後になりたい自分の目標が大きな柱で6項目に分かれているのですが、確定しているのが1項目しかありませんでした。
あとの項目はまだまだぼんやりとしています。
参加した仲間のアウトプットを参考にインプットさせていただくのもOKということでしたので、参加させてもらった次第です。
皆さん、5年後の目標から日々の生活に落とし込むのに苦労しているようでした。
同志の仲間との座談会について、私の雑感
時期は違えども総勢30名以上の同志の仲間です。
その中の約半分の方が参加した座談会ですが、必ずしもスムーズとは行かないフシがありました。
まぁ、同志と言えども皆それぞれ、歩んできた経緯やこれから向かって行く方向もてんでバラバラです。年代も性別も職種も様々です。
いきなり足並みを揃えようとはせずに、色々凄い人と私のように凄く普通の人もいるので、遠慮しない意見が言い合える場所であったら良いのではないかと思いました。
父親の存在を思い出す
先日、私が勤めている会社の取引先の社長(正確にいうと元社長)がお亡くなりになりました。お亡くなりになってから社長交代の挨拶状が届きました。
66歳とのことでした。御冥福をお祈りいたします。
私も何回かお会いしたこともありますし、闘病生活に入られる前にお顔を拝見した時には、まさかそれが最後になるとは思ってもいませんでした。
私の父親は、1998年の8月に51歳という年齢でこの世を去りました。
あれからもうすぐ16年が経ちますが、もしも生きていたら現在は66歳ですね。
私の母親と同じ年なので、まだ健在である母は66歳です。
まだまだ元気な母の姿からは想像もつきませんが、もうそういう年齢なのですね。
人様の死に直面しての私の雑感
普段私が何となく考えているのは、
どう生きるかは、どう死ぬか、だ
です。
死生観というのは本当に人それぞれだと思いますし、何が正解なのかもわかりません。
その答えが見つかった、わかった時には残念ながらこの世にはいないので、それを伝えることも出来ないのでしょう。
まだ現代の医学や科学では、どうしても生物の死を止めることは出来ないようです。
その結果、導き出される答えは
生きとし生けるものに平等なものは、「時間」と「死」なのでしょう。
マハトマ・ガンジーの名言を思い出しました。
「明日死ぬと思って 生きなさい。 永遠に生きると思って 学びなさい。」
探しているうちに、素敵なまとめ集を見つけました。ありがとうございます。
まとめ
普段はブログで自分の感じたことはあまり盛り込んでいないので、たまには【雑感】としてブログに残していけたらいいなと思いました。
今を大切に生きる、人は今にしか生きられない。
わかってはいても、日々の暮らしの中で忘れてしまうことが多いのではないのか?
自分を戒める意味でも、たまには振り返るのもアリなのかな。
それではこれからも、しげっち(@shige32_ogiso)をよろしくお願いいたします。