早起き4時台を700日以上継続してみて感じたこと 変わったこと 変わらないこと
先日、自分なりの早起きの定義(午前4時台に起床、4:50まで)でカウントを継続している日数が700日を超えました。
あくまでも継続中です。
連続日数ではございませんのでお間違いのないように。
私がこの早起きをカウントし始めたのが、2011年9月18日だったようです。
約3年前から始めて、700日オーバー。
何かに気づきませんか?
例えば、3年間毎朝欠かさずに続けたとしたら、既に約1,060日目になっているはずでした。
例えば、早起きの自分なりの定義を5時台にしてみたとしたら、既に1,000日くらいにはなっていたかもしれません。
(私なりの定義では6時起床は遅起きの部類に入ります)
そうなんです。
早起きのイメージが定着するようになりましたが、全然「ゆるゆる」なんです。
私のまわりには習慣の権化のような師匠、友人、同志の方々がうじゃうじゃといらっしゃいます。
その方たちの中には、毎日連続で1,000日、2,000日と様々な良習慣を行なっている人もいらっしゃいます。
本当に尊敬します。
しかし、自分は毎日連続にはこだわりませんし、あわよくば目指そうともほんの少ししか思いません。
700日継続してきて見えてきたことは、自分は自分、他人(ひと)は他人(ひと)。
こんなことではないのでしょうか。
[名言] 日常の「慣れ」が夢と希望を失わせる|いきいきと人生を楽しんでいる人ほど、習慣の殻を破るのが上手[名言コツコツ]
私の勝手にメンターであるコボリジュンコさんが、先日ブログで上記の記事を書いていました。
私は、自分なりの分析によると「ズボラ」「めんどくさがり」「出不精」「ゆるゆる」こんなステイタスを持っております。
極端な「めんどくさがり」屋なので、行動をルーチン化しないと非常に面倒くさいのです。
私が何故、3年前までは5:30頃に起床していたのに、1時間早めて起床しようと思ったのかというと、単純に自分の自由になる時間が欲しかったのです。
1時間、早起きすることによって、今まで出来ていなかった何かをやりたかったのかもしれません。
その早起きすることによって「失った健康」を取り戻すためにウォーキングしたかったのかもしれません。
先日妻から、何かを続けようと思っても、それが途絶えた時に非常に落ち込んでしまって、次の日から続けることが出来なくなってしまうと言われました。
私が何故、人よりも継続することが得意なのかと言えば、「ズボラ」で「いい加減」で少しばかり人よりも鈍くて「忍耐強い」だからなのかもしれません。
連続日数にこだわる性格だったら、どこかでやめてしまっていたかもしれません。
少しばかり習慣が途絶えていても、カウントするのをやめなければ、継続することは可能です。
自分が一番こだわっているのは、習慣を続けることではなくて、カウントするのを何か一つで良いから継続することだと思います。
カウントするのは連続である必要は全くありません。
5日続いて、やめずに10日後にまた再開したら、そこから6日目と数えれば良いだけです。
やめずに再び時計が動き始めるのを待つ。
「気長」な性格も影響しているのかもしれませんね。
まとめ
「歯磨き」や『トイレに行く』とかの習慣は数えるまでもなく、ほぼ毎日連続で継続出来る習慣です。
これは私も私以外の人もだいたいそうでしょう。
こんな感じで無意識レベルで継続できそうな良習慣を一つずつ積み重ねていきたいと思っております。
私が現在、一生懸命に取り組んでいる習慣は、23:59までに就寝するというミッションです。
この習慣は挫折の繰り返しで、何とか100日連続を目指したいと思っております。
たいがいの習慣は100日連続で継続したら、もうカウントするのをやめてしまいます。
さっきカウントを継続しろと書いていましたが、私の場合はカウントするのが面倒になってしまうので、ほぼ無意識レベルで出来てしまうようになったものは、もう出来るものとしてカウントはしておりません。
カウントはしてませんが、アプリによって✔チェックはしてますよ。
ネタのために早起き4時台を継続しているに過ぎません。あしからず。
早起き4時起きスゴイですね、と言われることもありますが、4時ちょうどに起きることは年に何回もありません。
本当に凄いのは24時間全く寝ないでずっと起き続けている人でしょう。
それを継続出来る人間はさすがにいないでしょう。
何のために早起きがしたいのかが大事であって、人によって朝が強い人もいれば夜が強い人もいます。
自分に合った睡眠時間を確保して、健康な生活を継続していきたいものですね。
それではこれからも、しげっち(@shige32_ogiso)をよろしくお願いいたします。